たんぽぽ娘 感想とか


ラストシーンについての補足…ってほどでもない私なりの意見、感想を。当然ネタバレ山盛りになります。

たんぽぽ娘(dandelion girl)が三上延先生のビブリオ古書堂でも紹介されていたので、ちょっと調べてみたら、私が以前感じていたような疑問と同じものをネットに書いている人がいました。もしかしたら、このページを読んだ上での疑問点として。
「ラストで、主人公はなぜ奥さんとジュリーを見分けられなかったのか?」についての話になります。
といっても、私が正解を知っているわけでもないのですが。

一応確認のためにネタバレを書いておくと、未来から来た若い娘(ジュリー)は主人公マークの奥さんであり、ジュリーは40代の主人公に会った後、20代の主人公の前にタイムトラベルしなおし、主人公と結婚していたということになります。
しかし、40代になった主人公は若いころの奥さんを見ても自分の妻だとは気づきませんでした。
若いころの奥さん(ジュリー)に会った主人公は、家に帰っても以前のとおりに振る舞い、自分が10代の娘にうつつをぬかしていたことなど悟られないように気を使いますが、奥さんはそんな主人公の変化(もちろん、この時期に夫が若い娘に会っていたことを知っている)に気がつき、何か思い悩むようになっていた様子でした。

主人公は奥さんの荷物から、素材のわからない真っ白なドレスを発見し、奥さんとジュリーが同一人物であることを理解します(この謎のドレスはおそらく今の時代にはない素材なのでしょうね)。

そして、普段アンと呼んでいる奥さんの本名がジュリアンであったことを思い出し(…今更過ぎる)、ジュリーとアンが同一人物であると確信します。
40代の主人公にジュリーと名乗りましたが、20代の主人公にアンと呼ばせたのはそのあたりを気づかれにくくするためなんでしょうか。

(ちなみに、ジュリアンからアンというあだ名が生まれるように、名前の頭以外からでもあだ名は結構付けられるようです。
『ぱにぽに(だっしゅ)』のベッキーの本名がレベッカだったりするように。
最初に提案されたレベ子というあだ名は却下されていましたね。
エリザベスだったらエリーとリーザ(リズ)とベスなどになる様子。)

この後、主人公はビンゴ大会に参加していて家を空けている奥さん(これ何て訳そうかすごく迷った。ビンゴ大会…なんだよね?)がちゃんと家に帰ってくるか心配になって家を飛び出し、奥さんがバスを降りるであろう最寄のバス停まで走ります。
そこで主人公は、自分ががなんで彼女のことに気づけなかったか、妻は誤解していると述べています。
「きっと夫は、若いころの自分と今の年取った自分が違いすぎていて気づけなかったんだろう。もう自分は若かったころの、夫が愛した自分ではなくなってしまったのだ。夫は今でも若かったころの『ジュリー』が好きで、今もその若い娘のことが気になって仕方がないんだ」と、そう考えられていると思っています。

しかし、実際はそんなことはない。今でも自分の中では、妻はあのころの姿のままだ。法律事務所の秘書の募集に訪れた、一目見ただけで自分が心奪われてしまったあのときの姿と少しも変わってはいないんだ…と主張しています。

そしてバス停で再開した奥さんは、確かに20年分の年をとっていることが、肌や髪から見て取れています。
実際に年を取っていなかったということなどなく、しかし主人公は「妻は年を取ってなどいない」と言う。

ここが、ちょっと理解のしがたい部分になってしまっており、ただ日本語訳を公開するだけではやや説明が足りなくなってしまう(理解しにくいだろう)と思っていました。
しかし、逐語訳に近く、余計なものを付け足さないように訳していたということもあり、特に本文中で補足やら記述の追加などは行いませんでした。自分でも100%理解できてるわけじゃないんだから、実は大間違いなことを書いちゃう恐れもあったので

で、このシーン、結局はこれは主人公の主観の問題だったんだろうと思います。
主人公のいう「年を取っていない」という表現は「老けたなー、なんて思ったことなんて1度もないよ」という感じでしょうか。今でも文句の付け所のない愛する人であり、容姿に対する不満がないため、特に"老化(ひどい言い方をすれば劣化)"したとは感じていないのだと思います。
そして、「ああ、若いころはもっときれいだったのにな」などと昔を思い出したりなどしていないので、突然現れた若いころの奥さんを見たとき、とっさには"自分の妻の若いころに似てる"とさえ思わなかったと。




そのほか、訳するとき気になった点など。
ジュリーが言い、後に主人公がくりかえす「おとといは兎を見たの。昨日は鹿。(そして)今日はあなた」ですが、これは、ジュリーが言っていた「時空座標」的な考え方で、「今日という日はいつ観測しても昨日でも明日でもなく今日」ということですね。わかりにくいですが。
つまり、主人公はこの台詞を繰り返すことにより、「"今日"はあなたに会う日になる」という意味と考え、「また今日もあの子に会いたいな」と考えていたのだと思います。

ただ、主人公が思い出す場面では主に家の中、ベッドの中などまだ夜中だったりもするのが少々気になりました。作者の文化圏では"今日は時計で0時から24時までを指す言葉で、"深夜0時をまわっていたなら、"今日"という表現にはごく自然に「次の朝起きて、昼ごろになって丘へ行くとき」も含まれているのでしょうか。
まあ、日本語でも深夜0時以降は「今日」と「明日」の表現が混乱しがちになりますが。
理屈では、0時過ぎなら、もう朝起きて以降の時間帯も"今日"で間違いないことは私もちゃんと理解しています。
深夜0時過ぎまですごした人と、別れ際(または寝る前とか)に「また明日ー。厳密にはまた今日ー」とか挨拶することもありますが、意識的には睡眠をはさんだら明日になりますよね。
文化とか関係なく、これも一種のSFであり時間を扱った作品なので意図して杓子定規に「今日」と「明日」を表現しているのかもしれません。でも私がこの話を書くとしたら、朝起きてからとか、朝食を食べながらとか「今日はあなた」を思い出すよな、と。

あと、ジュリーが秘書になりたいと話す場面で、意図してちょっとアホの子っぽくしてしまいました。仕事の内容はまだあまり理解してないけど、その職業そのものにあこがれてる感じで。
これは実際にそう読めなくもなかった(と思う)ことと、あと単に私の好みの問題です。

20年前のジュリーは、主人公との最後の別れ際「I love you.」と言って帰っていくのですが、それだと物語の構成上、再会率100%だと思ってしまったので、ちょっとぼやかしました。これも日本人との感覚の違いなのではないかと思うので、ここはやや日本人の感覚的に、再会率5割くらいの言葉に。

たんぽぽ娘という題には、奥さんの美しい金髪をたんぽぽの花の色にたとえている部分と、白いドレスをたんぽぽの綿毛とかけている部分があるように思います。
たんぽぽの綿毛については、風に飛ばされて種を運ぶ様子を、ジュリーの時間を越えた旅に重ねている部分もあるそうで。
ラストの部分で、主人公は奥さんの髪が年を経て輝きを失いつつあることを感じています。
金髪の女性の髪の色には女性ホルモンが関わっているらしく、金髪の女性は年をとったり、出産後などにホルモンバランスが崩れるなどした折に、髪の色が黒っぽくなっていくことがあるのだそうです。
男性が金髪の女性を好む理由として、このような部分が無意識下にあるとも考えられ、「金髪の女性→出産適齢期」のような印象が生まれるのだとか。

髪の変化は確かに奥さんが年をとっていることの証ではあります。それでも主人公は、奥さんが年をとったなどと感じることなく、昔と同じ気持ちで接していたのでしょう。

あと訳ではないですが。
奥さんはどこかおびえた表情を見せていたということですが、わたしは最初、これは時空警察的なものを恐れているためだと思っていました。しかし、最後に主人公がバス停へ迎えにいったとき、そのおびえが永遠に去ったと書かれているので、奥さんが恐れていたのは「40代の夫が10代の自分に会って恋してしまうこと」ただ1つだったのかもしれません。
また、奥さんが写真をとることを嫌がっていたため、写真は1枚も持っていないのだそうですが、これも時空警察が自分を見つけ出すような手がかりをなるべく残したがらないという意味なのかと。そのせいで、主人公は奥さんの昔の姿を思い出せなくなることにつながった・・・と。
または、いずれ昔の自分に出会うことになる夫が(丘の上で会った限りでは)気づくそぶりも見せなかったことを奥さんは記憶していたっぽく、そのことの辻褄あわせのために写真を撮らないでいたのかも?とか。

最後に。
日本語訳を作るにあたって、私はなるべく元の英文のままに訳しようと考えました。
意訳したほうが日本語らしくしやすいし、表現の幅も増える(はず)ので、見た目のいいものが出来上がるかもしれないとも考えました。実際、本職の翻訳家が訳する際には、当時のその国の文化やら考え方を考慮し、同時に日本人にも受け入れやすい形での訳を作るらしいです。実際、新しい『カラマーゾフの兄弟』の訳について問題になってました。
私の意訳では、作者の意図を曲解してしまったりしかねないし、なにより意訳であったら原文をみないまま英文を読んだ記憶を頼りに書き進められてしまう部分もあるので、私の英語の訓練をかね、逐語訳を心がけました。その結果として、私の訳にはやや表現の怪しい部分が含まれているかもしれません。
具体的な指摘はなかなか見かけないものの、2chなどでも「なんだよこれ誤訳多いな」みたいなコメントもありました。私、気になります。
機会があれば検討しなおしたいとも思うので、気づいたことについては多めに書いておいてくれるとうれしいです。
googleでこのページが反映されてるか、ちゃんと「たんぽぽ娘の日本語訳が読みたい!」と思った人がこのページにたどり着けるか確かめる意味でも、たまに”たんぽぽ娘”などでググってるので、多分、あなたのご指摘はいずれ私も見かけてることになると思います。指摘された内容についてはよく考えて、いずれこのページに書き足すこともあるかもしれません。よろしくおねがいします。

今回、ここに1ページ新たに追加することにしたのは、webで具体的な指摘があり、また教えてgooなどで質問にもなっていた「ラストで、主人公はなぜ奥さんとジュリーを見分けられなかったのか?」という部分について、私なりの考えなりを書いておこうと思ったためでした。

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