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飛田甲長森浩平


飛田甲の「幽霊には微笑を、生者には花束を」は私がライトノベルを読み始めるきっかけになった本です。
この本では、幽霊を信じない主人公が幽霊(女の子)を見てしまう話で、主人公はあらゆる理由をつけて目の前の幽霊を否定しようとします。
また、存在を一応認めた後ではその幽霊の素性を調べるため奔走するという内容になります。
幽霊という存在について、主人公はあくまで科学的解釈しようとします。
当たり前の話ですが現実に幽霊は存在しませんので、物語の終わりにある程度のごまかしを入れなければ話はまとまりません。
しかしこれは、幽霊に対する限界までの妥協点を探した本であると言えるでしょう。

幽霊が存在したなら、

そんな思考実験を小説にしようとしても、一般文芸ではけっして受け入れられないと思いますが、ライトノベルなら全く問題なしです。

この本はミステリーとして考えると納得いかない、推理できない等、少し難しい部分が出てきてしまいますが、私はこの本を、"似非科学"、"オカルト批判"等について書いた解説書をわかりやすく小説化した本として楽しんだのだと思います。

この本は好評だったようで、「夏祭りに妖狐は踊れ」に続きましたが、こちらはあまり評判はよくなかったようで、私の感想も否定的なものになります。
この続編では、ミステリーとしての印象が大きくなり、オカルトな存在は前作に比べ安易に受け入れられ過ぎな状況になっていて、主人公の理屈もただ辻褄あわせでしかない印象がありました。


「タイピングハイ!」は長森浩平という永遠の世界を感じさせる名前な作家さんが書いた本で、書評サイトを巡ってみると「作者の名前買い」という理由がいくつも見られる本でした。
私もまずタイトルに惹かれたもののあまり買うつもりはなかったのですが、作者の名前に気付き、結局、購入しました。

この本では人工知能がテーマになっており、主人公も行動、考え方がコンピューター的であったり、コンピューターに関する現実的な、またはSFらしく未来に起こりえそうな描写等がふくまれていました。
人工知能について、それらしき描写は「表層意識と深層心理に分けて構築する」といった設計思想が示される程度でした。まあ、実際作り方なんて示そうものならif文の羅列とか知識データの地道な入力とかになっちゃうでしょうし。
で、後半人工知能の作り方に対して、「自分の存在確率を分け与える」ことで命を作り出すみたいなことを言い始めるんですが、うーむ……

あと、ワープ装置の作り方について、ワープ元で転送したい物質を分析し構成する材料と構造を記録し、ワープ先に同じ物質でできた同じ構造を作ればワープさせることができる、というものがあります。これで人間を転送しようとしたとき、その人間を誤って消してしまうことがないようにワープ先での再構成が終わるまで一応保存しておく程度の安全保証が要求されます。
その場合、「私」は一体どこにいるのか?といった問題が生じます。
つまり、転送の途中、再構成された人間が私本人であることが確認されるまで、世界には2人「私」がいることになり、そのとき私が見ている光景は転送前の光景なのか、転送後の光景なのか、またはその両方を見ることができるのか、ということです。

この問題に対し、完全にコピーできないものがあり、転送が成功しないため二人いることにならないとする意見を何度か見かけました。"たましい"を複製できない。記憶データは持ち越せない等ですが、技術の発展とともに転送はできるようになるかも知れません。
でも絶対使いたくないですね。

なぜなら、これは"転送"ではなく"複製+複製元消去"だからです。
複製元になった存在は"消去"され(もしくは死亡)、複製された個体は"あなた"(たった今死亡した複製元のだれかさん)ではないにも関わらず、複製元と全く同じ記憶と考え方を持ち、話しかけてみれば、この複製体は、ワープしてきた"あなた"だと本気で思い込んでいることでしょう。

追記:私の話でイメージがつかみにくかった場合、川崎康宏という人が書いたALICEというライトノベルで似た仕組みが出てきます。
クマ最高。という感想に引かれ読んでみたものの、個人的にはあまり好みではありませんが。

ところで、タイピングハイにもどりますが、この本は2巻に続くとコンピュータがほとんど出てこなくなります。
主人公は「人を顔で識別できない」という特徴があり、はじめ少し自閉症に似た部分があると感じました。しかし、2巻では上記の特徴を含め、その他「コンピュータじみた行動」と書いた特徴が、「主人公が幼いころに何者かが主人公の感情を奪い去っていたから」といった理由で説明され、主人公が少しずつ「感情の欠片」を取り返していく話になろうとしているところで2巻は終わり、そして今をもって続きが出ていません。

コンピュータに関するライトノベルとして、桜坂洋の「よくわかる現代魔法」がありますが、このシリーズでも一巻以外では、コンピュータに関する表現が激減しています。どうもそれは、「科学、コンピュータに関して難しい事を多く入れると受けが悪くなるから減らすよう編集に言われる」という理由があったらしいと聞きました。


余計なことすんなと。


でもやっぱりそうしないと売れないんでしょうかね?
現代魔法は売れ続けましたが、上の2つが続かなかったのは、作者が続けようとしなかったわけではなく売れなかったから打ち切りという理由だった場合、科学から遠ざかったからなのは間違いないと思います。長森浩平のほうは1巻でさえ評価は微妙でしたので名前で売れた部分も大きかったのかもしれませんが。私は結構好きだったんですけどね…


ところで、人工知能が完成した場合、やはり人間の脳もただの記憶・演算装置だったってことになるんでしょうね。
コンピュータが「考えられる」というより、人間の感情がただのプログラム同様の代物であると。
魂や天国、来世といった今でさえ信じていないものが完全に否定されるわけですが、なんとなくそんな日が来て欲しくないと感じてしまいますね。

人工知能で天才科学者が不老不死を得たりする話がありますが、人工知能にアインシュタインの頭脳を再現しようとしたり、ヒトラーを復活させようなんて動きがでてくるかもしれません。
そのほか身近なところで、死んだ子供、恋人を再現することもできるかもしれませんね。そんな場合、何年くらい稼動させるんでしょう。
初めしばらくはいいかもしれませんが、やはり成長(会話等から得た情報を得て知識を増やし、考え方を変えていく)していかなければおかしいでしょう。
このとき、その成長まで元の人間と同じものになるでしょうか?刺激しだいである程度まで変われるようにするべきだと思いますが、逆にどんどん人格が元から離れていくようだと困ったことになりそうです。
死亡後、コンピュータ上で得た知識、経験から出来上がっていく人格は、果たしてどこまで元の人間のものと考えられるのでしょうか?そしてそれを"停止"させるということは?
まあ、コンピュータ上の人格はもとの人間と同じ知識とおなじ考え方を持ってるだけの装置なだけですし、ただ"それ"が「自分は生きている」と主張するだけなんですがね。

……えー、こんな暗い話を読んでくれてありがとうございました。


東京トイボックス
大東京トイボックス

ゲーム会社のリアルげな話です。
腹に卍を入れたキャラクターが欧米ではナチスのハーケンクロイツだと受け取られるからNG、みたいな話も出てきます。
ポケモンのニョロモでしたっけ?

最近どこかで続編が書かれてるみたいなこと聞いたんで、単行本出次第読みたいです。

とか書きながらググッてみたらちょうど出てましたね、1週間くらい前に。
新シリーズの大東京トイボックスは、ライブリンクの東京トイボックスでは出てこないようですね…


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