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よくある疑問、話題に対する答えや、管理人の考えを書いておきます。

ところで、作者の執筆時の基本方針は、
「浅羽直之の視点から見えないものは書かない」
だそうです。(漫画版『イリヤの空、UFOの夏』2巻より)

あと、2話『ラブレター』付近(場合によっては3,4話かも)は、ジョー・ダンテ監督の『マチネー/土曜の午後はキッスで始まる』に強く影響を受けたそうで、この映画は秋山氏お勧めの一作なのだそうです。
次回作を読む前くらいには、皆一度見ておきましょう。



イリヤって○○のパクリ?
  • エヴァ
    企画段階では「UFO綾波」と呼んでいたようです。
    イメージとしてエヴァがあったことは間違いないでしょう。
  • 最終兵器彼女
    作者本人は、執筆当時知らなかったそうです。

    >1999年12月27日(BCS4/5)〜2001年10月29日(BCS48):最終兵器彼女
    >2002年 7月15日(BCS33)                   :LOVE STORY,KILLED
    >2002年12月19日(S-GX,DEC):世界の果てには君と二人で。あの光が消えるまでに願いを。せめて僕らが生き延びるために。この星で。
    >
    >2000年6月(電撃hp 7)〜2003年6月(電撃hp 24)     :イリヤの空、UFOの夏

    作者が考案した時期はもっと前では?とも思いますが、読者からみて最初の情報は、猫の地球儀(2000年4月)のあとがきにでてくる「ヒミツ企画一号」がイリヤである可能性がある程度です。
    これも、やはりサイカノ発表後ということになります。
    でもこの当時は世紀末思想があったので、
    こういった作品が同時期にでても別におかしくはないと思います。

    どうでもいいことですが、1999年の大河ドラマは元禄繚乱で、なんとなく択捉動乱を思い出しました。
    字数と一文字しかあってませんが。


イリヤの舞台はどこ?
秋山瑞人の地元である、山梨の甲府盆地内と考えられています。鉄人屋のモデルになった「ぼんち」というお店もあります。

聖地巡礼リンク


葵星円とは?
秋山瑞人が大学生時代にサークルで出していた本に小説を載せる際に使っていたペンネーム。
ブルース・スターリングのもじりらしいです。


旭日祭で水前寺が作っていた模型はブラックマンタ?
ブラックマンタではないと考えられます。
水前寺の説明から考えるに、水前寺が見たものは「基地に数十機配備されている」ダミーorミサイルキャリアで、「親玉(=ブラックマンタ)を白日の下に」と言っています。


夕子のやっていた劇「この荒野の物語」って?
鉄コミュニケイションの秋山の小説をモデルにした舞台劇。「この荒野の物語 美浜源八」あたりでググると見つかります。また、2巻P191の呼び込みの台詞に混じっている「さよならササヅカ」は秋山瑞人が大学生のころに書いていた小説のタイトルです。


死体を洗えの登場人物の正体は?
不明です。
意図的に明示されていない部分かと思われます。

話しかけてくる若い男がどうも榎本っぽいし、
その話の中に出てくる人物の名前も「木村」であるし、
椎名真由美の本名T.Sはちゅみかしずかの可能性はあります。
  • ナンパ男(榎本?)
    画集の中で、死体を洗えの扉絵が榎本の絵として出てきます。(アニメのストーリー紹介に続く、(アニメの?)登場人物紹介のページでですが)。榎本の大学は、「地元の国立」。しかし、死体を洗えでは、"理事長"のいるおそらく私立の大学(マラソンに強いこの大学は、山梨学院大学がモデル)。ナンパ男が、ちゅみには嘘を話していた可能性もありますし、作者のミスかもしれないので、榎本の可能性は十分あります。話に登場させる人物の名前を「木村」にする部分も榎本っぽいです。
  • 木村
    木村は榎本がよく口にする同僚の名前ですが、この人は男か女かさえわからない謎の人物です(ちなみに、私は女だと思ってます)。
    もともと、浅羽の前では考えなしに行動しているように見える榎本も、写真を撮られたから+水前寺を高く評価しているためか、水前寺の前に決して姿を現しませんでした。
    浅羽や読者からの視点では、ほとんどの情報が出てこないこの「木村」という人物は、榎本たちが所属しているのが謎の多い機関であることを感じさせます。

    「死体を洗え」に登場する「木村」とイリヤ本編での「木村」を結びつける情報はあまりありません。本編では仕事第一の真面目な性格っぽいですが、「死体を洗え」の「木村」とは一致していません。
    幽霊が見えてしまっているせいもあってか、後半では「死体洗いのバイト」も満足にこなしていませんし。
  • 椎名
    TiyumiともShizukaとも考えられるため、T.Sはこのどちらかとも考えられます。一般に日本人の名前をローマ字にする場合、名前、苗字の順に書くものですが、苗字、名前の順に書くこともありえないわけではありません。私としては、しゃべり方などからしずかのほうを椎名の名前と考えたいところですが、一巻のポスターに書かれている秋山瑞人のローマ字表記も名前、苗字の順であることなどから、やはりしずかと解釈することはマイナーな意見ということになるのでしょうね……


死体を洗えを理解できない
園原市の基地付近で起こっている、嘘のような本当の話。
または尾ひれ背びれがついたタダの噂話。

ここはあまり理解しなくていい部分だと思いますが、一応私の思う範囲でここに書いておきます。


浅羽のパンツが濡れていたのは?
どうみても精子じゃありません。
ほんとうにありがとうございました。


吉野って何者?
大卒以上であることが自衛軍の情報科によって予想されていますし、
文中の描写から、以前は教師をやっていた可能性があります。

授業を受けた浅羽の感想からして、在職中は優秀な教育者だったのかもしれません。
しかし、何らかの事件(たとえば、作中で出てきたような…)で教師を辞めざるを得なかったのかもしれません。または、ふと自由を求めて飛び立ってしまった人なのかも。

イラスト集のキャラクター資料の中に、吉野敏明とフルネームで書かれていました。
アニメではイリヤが1人で学校にいるときに学校を訪れ、突然レイプしようと襲い掛かってくる場面があっただけの謎の浮浪者でしたが。


伊里野はレイプされたの?
なにもされてないっ!


榎本の、悪魔のような笑みって?
この言葉が出てきた時点では、榎本の心の中はうかがい知れません。
ただ、その後の場面での浅羽との会話から考えて、榎本のこの場面での心境を表した表情なのでしょう。

榎本としては浅羽が伊里野を止めることは完全に計算内でした。そしてそんな浅羽を見て、伊里野が死ぬ覚悟を決めることも。

浅羽が子犬作戦の「子犬」として立派に伊里野を送り出そうとしている場面を迎えたことで、計画の成功を確信する喜びと共に、浅羽に対する罪悪感によってこの悪魔のような笑みが生まれた考えられます。
また、浅羽の濡れたパンツを見てうらやましそうに笑ったこと同様、浅羽の若い正義感を好ましく思っている部分もあると思います。
物語において、榎本という男の存在は「神様と悪魔は最初からグルなのだ」に対応する部分なのかもしれません。


今で言うとアレですよ。「計算どおりッ!」


余談ですが、法政大に進学し金原ゼミに入った早矢塚かつや氏の『文芸部発マイソロジー』2巻でも悪魔のような笑みを浮かべている場面がありました。ヒロインが。


最後、伊里野は死んじゃったの?
作者によれば、
>秋山
>作者が自分の小説の結末について言い訳してはいかんと思うのですが、
>私は『イリヤ』をけっこうハッピーな結末のつもりで書いたんです。
>この話は、難病もののヴァリエーションなんですよ。
>生まれたときから病気で、ずっとサナトリウムで育った余命1ヶ月という
>女の子がいる。死ぬ前にこの娘に普通の暮らしをさせてやろう、という。
>このパターンだと、物語の主眼は女の子を救うことではなくて、
>死ぬ前に女の子が「幸せでした」というかどうかになるんですよ。
>冲方:
>言ったよね、「浅羽のために、地球を守る」。
>小川:
>あれは幸せな境地だと思いますよ。
(SFが読みたい!2004年版・新世代作家座談会より)

ようするに死んだみたいです。


榎本って最後死んだ?
榎本は最後死んだのかについて。
実際死んだのか生きているのかは分かりません。描写されてはいませんね。

ただ、私としては、はっきり言えばどっちでもいい部分になります。榎本は誰かに命を狙われるような地位にいるようですし、きっと殺されても文句を言えないような事もいろいろしてきたのでしょう。同時に、死んでしまいたいほどの悲しみや、死をもって償うべきだと考えているような事もあったのかもしれません。
しかし、榎本は本人が生きたければいつまでだって生きる奴だし、死にたくなったら、そのときはきっと自分でなんとかするでしょう。私は彼が生き永らえることに文句はありませんし、仮に自殺しようとした場合に、「生きていれば楽しいこともある」とか説得することもできそうにありません。

浅羽に銃で撃たれた榎本は、傷の深さからしてそのまま死んでもよさそうですが、浅羽を殴る余裕くらいはあって、そしてそこはすぐに治療も受けられる軍事施設であったこともあり、結構しぶとく生き残って、平気な顔で別の作戦に従事してたりしそうです。
浅羽には殺されようとしましたが…「死にたい」のと「殺されてもいい(仕方がない)」は違うと思うので、死にはぐった榎本が自力で自殺したりはしない気がします。
榎本としては、伊里野を死なせることを前提とした作戦を立案したあたりから、伊里野本人や浅羽になら殺されてもおかしくないと考えていたんでしょう。それでいて、榎本は別に「死にたい」わけではなかっただろうと思っています。


椎名の本名は?どっかに出てた?
本文中に明記されていたり、T.Sに正確に該当する名前はなかったなずです。
仮説として挙げられる例として、

ちゅみorしずか
・水前寺姉

などがあります。
ちゅみはあの後行方不明になりそうでしたし、しずかもどうなったかわかりません。
話し方としてはしずかのほうが椎名に近い気がします。
水前寺姉に関しては……確かに本編中で水前寺と椎名は顔をあわせて会話するシーンはありせん。
しかし、全校集会で自己紹介していますし、
学校内で顔を知られずに済ますことは不可能でしょう。
正しい原チャリの盗み方前編、そんなことだからより椎名が水前寺をよく知らない様子が伺え、
浅羽は椎名、水前寺姉両方に会っています。


浅羽とイリヤの出会いは偶然?
私は偶然だと思っています。

しかし、「めちゃくちゃ気持ちいいぞ、と"誰か"が言っていた」という導入部分から、この"誰か"が榎本であり、出会いからして仕組まれていたという考え方もあるようです。
榎本に仕組まれていたというほうが、偶然性を省くこと、榎本たちの計画の用意周到さが示されることから、物語としては完成度が高くなるのかもしれません。

しかし、私は偶然だと思っています。そんな偶然派の根拠を上げてみますと、
・「転校直前にクラスを変更する」
・榎本の組織内での浅羽の呼び名が「C(Child?)が1人」(1巻)から、「パピー(子犬)がそちらへ」(4巻)というように変更されている
などの部分が挙げられ、私は子犬の選定に榎本は関わっていないと考えています。
4巻最後の椎名の説明から、2年1組の教室で放り込んでみて、仲良くなった誰かを、子犬にしてしまおうという程度のものだったのではないでしょうか。
それでは少々計画が杜撰な気もしますが、もともと学校へ行くこともそれほど念を入れて説得していたわけではなかったらしいですし、結構出たとこ勝負な印象があります。浅羽が伊里野を連れて逃げたときも、「このままでもいいかもしれない」と思っていたようなので、「伊里野を受け入れない世界だったら、滅んでもしかたがない」と思っていたとか……は流石に根拠のない深読みですね。
何のあてもなく転入した場合でも、気に入った浅羽が「トイレ」に逃げたりしなければ、「あっちいけ」も出なかったはずで、おせっかいな女子に囲まれてそれなりに教室に馴染んでいったのではないでしょうか?

浅羽が「誰か」から「夜のプールに忍び込む」という話を聞いたのも、夏休み前か、場合によっては去年の夏休み明けなどで、榎本や伊里野とは無関係の、ただの偶然ではないかと考えています。
夏休み前などにクラスメイトあたりから偶然聞いたにせよ、榎本に吹き込まれたにせよ、浅羽がプールに忍び込むことを決意したのは、宿題手付かずのまま夏休み最終日を迎えてしまったあたりからの思いつきくらいのノリなので、それほど必然性の高い行動でもなかったと考えています。
……去年の夏休み明けだったとすると、中一ということになります。
中一でプールに忍び込む度胸があるやつがいたのだとしたら、それはかなり大した奴だろうとは思います。でもまあ、部活の先輩なんかに引っ張っていかれたという可能性もありますが。

また、初対面時、椎名が浅羽をうれしそうに見ることなどからも、浅羽が、「榎本側の用意した生贄」ではなく、「伊里野が選んだ相手」ということのように思えます。椎名には伊里野が一人で基地を抜け出すことが理解できなかったらしいですが、このあたりは一応、短編「グラウンド・ゼロ」に書かれています。
山のほうを双眼鏡で観察していた榎本から学校にはプールがあるという話を聞く場面や、エリカの亡霊(伊里野の願望が作り出した、現物よりもかなり能天気なエリカ)にプール行きを勧められて、伊里野が基地脱出を決意するシーンなどがあります。
以上のシーンから「なぜ学校のプールに行くことを決めたのか」は、よく分かりませんが。伊里野の中のエリカ(想像上の友達)からの提案でしかないので……
いずれにせよ、この短編も榎本陰謀説、偶然説のどちらかを強固にするというほどのものでもないと感じかと思われます。


イリヤの空、UFOの夏のテーマとは?
この本は、作者曰く「おっさんが昔を思い出して読む話」だそうです。
実際に中学生が読んでも楽しめる作品だとは思いますが。

物語の結末まで読んでも、浅羽は伊里野を救うことができなかったという形になります
ただ、それでも伊里野自身の心は救われていたという解釈もあり、こちらも重要な部分と言えます。

命を救えなかったことは残念ではあります。ただ、その事に象徴される少年時代の無力さ、忘れえぬ思い出などがとても印象的な物語となっています。ノスタルジーですな。

また、ドラマCD付きの短編、「それ以外のことについていえば」に強く出てくることとして、
「人のせいにしないこと」があります。
本編を読み返してみるとそういった表現も出てくるように思えるので、これがこの話の主題だと思っています。


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